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浅田義正医師|浅田レディースグループ理事長②:品質を追求し続ければ、結果はついてくる

一度は工学部に進学したかつての工作少年が、様々な出会いを経て医学部・内科・産婦人科・そしてついにアメリカでの顕微授精の道へ。研究者として大学に所属したのち、現在に続く「浅田レディースクリニック」グループを立ち上げる。

そこからの道のりはどのようなものだったのか、そして浅田医師はいま生殖医療の現場で何を思うのか。その想いに迫ります。(全2回の後編:前編を読む)

 

 

CONTENTS
  1. 準備もなく始まった開業:「不足」だらけだった
  2. 「先義後利」を信条にしたクリニック運営
  3. 最高品質の生殖医療のために、勝負し続けたい
  4. 通いやすさより、“品質”で選んでほしい

準備もなく始まった開業:「不足」だらけだった

現在は理事長として3つの不妊治療クリニックを経営されていますが、最初のクリニックを開業された頃は、世間ではまだまだ不妊治療の認知が低い時代だったと思います。開業に不安はありませんでしたか?

私が最初のクリニックである「中島クリニック不妊センター」を開業したのは1998年のことです。おっしゃる通り不妊治療はまだまだ知られていない時代ですね。ただ、医学部や産婦人科を選んだときと同じように、実は最初から開業しようと決めていた訳ではないんです。

 

アメリカ留学から帰国してすぐに、私は研究だけでなく臨床(※編集部注:医療現場での治療のこと)にも関わるようになりました。私が学んできた顕微授精を待っている患者さんがいたので、大学病院でも顕微授精を行うことになったんです。

毎月25人、年間だと300人くらいの患者さんの顕微授精を担当しました。日本で初めて精巣精子の顕微授精の妊娠に成功したのもこの頃です。

 

そんな中で、当時の私のボスが大学内での教授戦に負けてしまいました。医学部や大学に限らず企業もそうなのかもしれませんが、ボスが負けたことで、私も大学を辞めざるを得なくなりました。

でも、先ほどお話ししたように、毎月25人の患者さんが顕微授精を待っている。この方々だけでも責任を取りたいと思ったんです。たまたま妻の実家が産婦人科でしたので、その一角を借りて顕微授精を行うことになりました。それが私のクリニックのスタートです。

 

だから、もともと開業の準備もしていなかったし、不安なんて考える余裕もなかった。とにかく待っている患者さんに顕微授精を、という思いだけでしたね。突然の開業だったので、培養士もおらず、培養業務から診察までをすべて1人で行うスタイルでした。

もしあのとき私のボスが教授戦で負けていなかったら、もう一度留学をして、今でも研究を続けていたかもしれません。

 

 

とは言え開業されてからは苦労もあったと思います。特に国内にほとんど不妊治療クリニックが無い時代では、医療環境など未開拓な部分も多かったのではないですか?

今でこそ「胚培養士」という職業も知られるようになってきて役割分担も進んでいますが、当時はピペット作成から顕微授精までをすべてできる医師が、国内にほとんどいませんでした。

まだまだ珍しかった顕微授精を求めて、最初の間借りクリニックは名古屋の北にある豊山町という小さな町でしたが、患者さんは中部全県から来てくれていました。

 

ところが、最初は「こんなところまで顕微授精の患者さんは来ないよ」と言っていた義父が、私の患者さんが多くなるにつれて不機嫌になり、ついには「こんなに患者が多いなら他でやってくれ」と言われてしまったんです。これが最初の苦労かもしれません(笑)。

そんな経緯で、豊山町からいちばん近くてビル開業ができる場所を探し、2004年に現在の「浅田レディース勝川クリニック」を開業しました。妻の実家で最初に開業してからは6年が経過しています。

 

この6年間のうちに、毎年1人ずつ育成した培養士は6人になっていました。場所は変わっても患者さんは引き続き同じ地域から来てくれましたので、患者さんが少なくなるということもなく、徐々に規模は大きくなっていきました。

 

でも、人数が増えることの苦労はとても大きかったですね。生殖医療に志のあるスタッフをどう集め、どう育成していくかは常に課題でした。大学時代のかつての部下だった医師に来てもらったのですが、いつもその話をしていたのを覚えています。これは今でも変わりません。

 

また、歴史が浅く、自由診療(※編集部注:2022年3月まで体外受精・顕微授精は公的医療保険の適用外だった)だからこそ、医療そのものやその周辺の品質管理をしっかり行いたいと思い、ISO9001を取得することにしました。生殖医療はそれくらい厳格な品質管理が問われる医療分野だからです。

ただ、ISO9001の取得には膨大な事務作業が発生します。通常のクリニックであればやることの少ない手順書作成のような仕事を嫌がって、スタッフが辞めてしまうといったことも経験しました。

浅田レディース品川クリニックのラボ(培養室)の様子

 

 

「先義後利」を信条にしたクリニック運営

最初の開業から数十年経ち、今では3つの大きなクリニックを運営されています。ここまで浅田レディースクリニックグループが成長される中で、大切にしてきたことは何ですか?

多くの開業医の方々は、開業までに医療以外の経営についても学び、段階的に準備をしているのかもしれません。でも、当時の私にそのタイミングは無かった。振り返ってみると、とにかく走り続けてきた印象です。マーケティングやファイナンスといったことは、いまだによくわかっていません。

 

そんな中で、とにかく3つのことだけは大切にしてきました。中でもいちばん大切にして、常に心がけていたのが「先義後利」という言葉。中国の儒学者である荀子が書いたもので、「義を先にして利を後にする者は栄える」という意味があります。

正しいことをしていれば、利益は後から付いてくる。そうであるなら、常に自分自身が社会に対して、医療に対して正しいことをしっかり行えているかを自問自答していれば良いんです。これは私が医療に取り組む上で核となっている信条です。

 

2つめは、高度な技術が求められる生殖医療だからこそ、しっかりした品質管理ですね。組織が大きくなっていくにつれ、命令系統を明確に、それぞれが同じ力量で仕事をできるようにという点にはとても注意を払いました。品質管理を徹底し、問題があればすぐに改善できる仕組みをつくることが、常に最善の医療を行う根幹になるのだと信じています。ISO9001を取り入れることにしたのもそんな考えからですね。

 

最後は、「最先端に挑み続ける」ということ。生殖医療は医学の中では比較的新しい領域ですから、その内容も日進月歩です。私自身も、クリニックも、常にその最先端を競う存在でありたいなと思っています。

 

まだ生殖医療の研究者だったころ、誰かに教えを請えるような環境ではなかったために、常に何を改善していくべきかを自分自身で考え、論文で発表された最新の内容を試してみるということを繰り返してきました。アメリカに留学したときも、世界の最先端である研究所で、皆が試行錯誤しながら研究しているのを見ていました。現代の医学はそういった挑戦と失敗を繰り返して得られた成功を、少しずつ積み上げてきたものであることは間違いありません。

だからこそ、良さそうなものがあれば自身で試してみる、そして同じ結果であれば、よりシンプルな方を採用するということを、私は今でも繰り返しています。30年近くそんなことを繰り返していますが、そういった科学的・医学的な研鑽にのめり込んでしまうのは、工作少年だった自分から少しも変わっていないような気がしています。

 

 

浅田先生とお話ししていると、医療機関の経営者という、やはり研究者としての印象が強く感じられます。先ほど生殖医療に進まれた経緯をお伺いしましたが、まさに天職ですね。

実は、医師になりたてのころ、「医学って思ったより科学的じゃないな」と感じて、少し興味を失っていた時期もあったんです。医学と一口に言っても、とても幅広い。そんな中で工学的・科学的な側面の強い顕微授精に巡り合えたのは本当にラッキーだったなと感じています。

 

生殖医療はまだまだ発展途上なので、解明されていないことも多くあります。そんな謎を突き詰めながら、自分で研究し、改良を進めていく作業は、ものづくりの工夫を常に考えていた少年時代が原点なのかもしれません。

自分で興味がある分野だからこそ、英語で論文を読むことや、学会活動をすることも苦にならない。何より、新しい命を生み出す医療だということにやりがいを感じています。まさにライフワークです。

 

68歳にもなって、いまだに生殖医療に熱中している私は、周りの先生たちから見ると変人なのかもしれません。10-20年前に生殖医療について熱く語りあった同世代の仲間たちの中には、さらに幅広く活躍の場を拡げている方もいたりします。

そんな中で、私だけはまだまだ飽きずに生殖医療を追いかけている。でも、そんな仲間が生殖医療から卒業するたびに、ちょっぴり寂しくなったりもするんですよ。

 

 

最高品質の生殖医療のために、勝負し続けたい

30年以上にわたって国内の生殖医療を牽引されてきた浅田先生から見て、昨今の生殖医療はどのように映りますか?

私が携わってきた30年間、生殖医療は常に変化を続けてきましたが、特に近年大きく変化したように感じます。

 

体外受精や顕微授精が始まったころ、患者さんから頻繁に「障害児が生まれないか」という質問を受けていました。まだまだ一般の方にとっては未知の医療だったのでしょう。

その質問に答えるために、グローバルの論文のほか、自分のクリニックでも常にデータを取得するようにしていましたが、現在ではそういった質問はほとんどありません。体外受精が一般の方に“普通に”受け入れられるようになったのだなと感じています。

 

そのぶん、開業するクリニックもとても増えてきています。

もともと国内の生殖医療は大学を中心に研究がスタートしましたが、大学では制約も多く、クリニックを中心に発展してきた歴史があります。

かつて開業した医師たちは、大学での研究で得た知識や技術を基礎としながら、どうすればより妊娠という成果につなげられるかを常に考え、学会や研究会では熱い議論が飛び交っていました。そんな機会で顔を合わせるので、どこでどの先生が開業したのかといった情報も、お互いによく把握していたように思います。

 

ただ、体外受精や顕微授精が一般に広く知られ、受け入れられるようになると、ほとんど生殖医療や培養業務を経験したことのない医師までもが開業するようになってしまいました。業界の発展や役割分担が進んだ結果、培養業務は培養士にさえ任せてしまえば開業できなくないからです。

 

最近では、研究会などでも耳にしたことのないような医師が開業したりもしています。真摯に生殖医療に取り組んできた結果、儲かっているクリニックや医師がいることも事実でしょう。ただし、お金のために開院されたクリニックで本当にレベルの高い生殖医療が行われているのか、生殖医療の成長を止めてしまうのではないか、生殖医療に携わる1人として、そんなことが心配になっている昨今です。

 

 

生殖補助医療は昨年、公的医療保険の適用という大きな変化もありました。過去3年間はコロナ禍の中での診療だったと思います。

コロナ禍に入る少し前、私は3つめ(通算4つめ)のクリニックである「浅田レディース品川クリニック」を開院しました。それまでは名古屋で暮らしていましたから、名古屋と東京を往復する生活が始まりました。

そんな大きな変化の中で、コロナ禍、そして不妊治療の保険適用は、これまでになく大きな変化だったことは間違いありません。

 

保険適用は当時の菅義偉首相の柱となる政策の1つでスピーディに進められましたから、私たちも対応にはとても苦労しました。昨年1年間はほとんどこの業務で手いっぱいでした。準備不足で薬品が欠品になったり、出荷制限になっているものもあります。

それでも、お子さんを望むカップルにとって金銭的負担が減るというのは本当に助かることでしょう。今まで自由診療でしか行えなかった体外受精・顕微授精が、正式に社会に受け入れられたということに、長年取り組んできた身として喜ばしい気持ちになりました。

 

ただし、不妊治療はこれまで自由診療で行われてきたがゆえに、保険診療として一般化するにはまだまだたくさんの課題があります。急いでバタバタと決めてしまった部分もありますから。

個人的には、私が長年重視して取り組んできた顕微授精などの培養技術が保険の認可対象にならずに、保険適用の体外受精が始まったことが残念だなと思っています。短い期間の中で制度を固めた関係者の方々にはお疲れさまでしたと伝えたい一方、保険診療の中で、どのように国内の生殖医療の品質を保ち、レベルを上げていくのか、これからが勝負になってきます。

 

 

通いやすさより、“品質”で選んでほしい

そんな変化の中で、これから妊活や不妊治療を迎える患者さん側にも、変化が求められていくのでしょうか。

不妊治療が社会に受け入れられ、クリニックも増えてきています。患者さんも、かつてはご自身で調べて不妊治療のクリニックへたどり着いた方々だけだったのが、もっと多くの方が治療を受けるようになりました。少子化対策や保険適用で、この流れはますます加速していくでしょう。

 

一方で、体外受精や顕微授精のような生殖補助医療は、高い技術が必要とされる医療です。保険適用で「どの医療機関でも、同じ内容なら同じ金額で治療を受けられる」ようになったとは言え、私たちの目から見ると、レベルの高い生殖補助医療を行えるのは、ほんのひと握りのクリニックだけです。

 

かつて自由診療だったころは、とにかくいい治療を行なっていれば患者さんはどこの地域からでも足を運んでくれていました。女性からだ情報局の不妊治療体験記の中にも、わざわざ東京から名古屋のクリニックまで通院してくださっていた方がいましたよね。たった5年前の話です。

ただ、保険適用の流れの中で、患者さんが技術レベルよりも「通いやすさ」でクリニックを選ぶようになってきていると感じます。クリニックの選択肢が増えたことで、患者さんの移動時間の負担が少なくなるのは喜ばしいことですが、生殖医療は現在はまだ“街のかかりつけ医”のように、「近くのクリニックに行けば良い性質」のものではないんです。

 

生殖医療を取り巻く様々な外部環境の変化の中で、私たちはレベルの高い生殖医療をどのように維持し、そして発展させていくのか。そのためには、正しい情報発信にも取り組んでいかなければいけないなと感じています。

常に最先端に挑み、変化を乗りこなしてきたのが私の医師としての人生ですから、これからも実際に結果を出して、社会に貢献していきたいと思っています。

 

 

浅田医師が語ったように、現代の医学とは、先人たちが挑戦と失敗を繰り返して得られた成功を少しずつ積み上げてきたものである。もちろんこれは医学以外の分野でもそうだろう。

もし浅田医師が、医学部に入りなおすことなくそのまま工学の道を歩んでいたら、その道でも存分にその探究心が発揮されていたことだろう。筆者の父親とほぼ同世代でありながら、インタビューに答える浅田医師は、定年後のサラリーマンとは比較にならないほどのバイタリティを感じさせる。

30年の時をこの領域に費やしてなお、そのバイタリティは生殖医療に注ぎ込まれている。名古屋と東京を、そして時には国内各地や世界を飛び回りながら、浅田医師は挑戦と進化を続ける。いつの時代も、こうやって科学を前に進める人がいるからこそ、私たちはその恩恵を享受できるのだ。

これからの浅田医師と浅田レディースグループの益々のご活躍をお祈りしたい。

 

 

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